東北新幹線で郡山に向かう。行けども行けども田圃という感じだが、郡山駅に近づくと、さすがに建物の多さが目立った。交通の要所として昔から発展した街だ。同じ福島県でも郡山と会津では、地理的に隔絶されている感がある。幕末ともなると、意識は外国と同じであろう。会津藩は、郡山をめぐる官軍との攻防でミスを犯したとされる。一進一退の攻防で、会津藩は郡山市中の商家に火を放ち、郡山の人々のひんしゅくをかった。郡山は既に官軍の一大兵站基地となりつつあり、人や物資が総動員されている。それを妨害するのは戦争のやりかたとしては一理あるが、民心の離反を招くというミスを犯したのである。「外国」で戦うことの難しさもあったろうが、郡山を失ったことは会津にとって痛かった。
郡山駅から磐越西線で会津に向かう訳で、前もって乗り換えの便を確認しないと、一日の計画すら立てられない。電車の本数も限られている訳だ。もっともこの日は夏休みの季節なので、電車は混雑していた。
郡山を出発すると、あっと言う間に田園風景が広がる。どんどん家が少なくなって行き、畑も少なくなって行く!磐梯熱海を過ぎると、山の中の山の中の、大変な山の中を入って行く。中山峠という険しい山々は、当初官軍主力部隊が正面突破すると見られていた。ところが官軍は、母成峠という北方のさらに険しい山道を強行突破した。道案内に地元の村人を利用しての作戦が当たったのだ。
盆地に出ると、磐梯山が姿を現した。青く輝く山々のふもとのたんぼは、一様にやまぶき色である。秋になると黄金に輝くのだろう。とにかく鮮やかな光景である。電車の車窓からは、磐梯山をかなり長い時間にわたって拝むことが出来た。時間があっと言う間に過ぎていく。約1時間10分程度で電車は会津若松駅に到着した。会津若松駅は、「いかにも観光地です」という感じに整備されている。