一の谷嫩軍記〜熊谷陣屋の場

一の谷の合戦〜義経の電撃的勝利


↑山陽電車須磨浦公園駅近くにある、合戦の場所を示す碑。山陽電車も崖っぷちを走ってた。

 一の谷に陣を敷いた平家方は、東側から攻め立てる源氏方源範頼の軍勢を食い止めた。平家方は、背後に断崖絶壁の連なる山々に守られ、手前に広がる海原には無数の水軍船を待機させている。源氏方は苦戦した。義経は、百騎にも満たない手勢で陣の背後を衝くことを決意する。しかしながらこれは数々の困難を伴った。山々はまさに道なき山々で、ようやく彼らが光を浴びた向こう側は「空」だった。平家方の陣はまさに断崖絶壁の真下だった。義経は迷うことなく全軍に突撃を命じた。
 平家方は、「空から騎馬武者が降ってきた」も同然の義経軍の奇襲に大混乱に陥った。平敦盛、平業盛、平知章など、多くの者を討ち取られ、範頼勢も防衛線を突破するに及んで、平家方は水軍船で海へ逃れた。

 この合戦における「平敦盛の最後」は、「平家物語」の中でもとりわけ有名で、涙を誘う場面でもある。水軍船で撤収する敦盛に対し、義経軍の猛将熊谷次郎直実は「敵に後ろを見せるのか!武士らしくお相手をなされい!」と叫ぶ。敦盛はその声に振り向き、果敢にも直実に挑んできた。まだ十六歳の敦盛が、百戦練磨の直実にかなうはずはなかった。たちまち組み伏せられ、お命を頂戴つかまつる、となるわけだが、直実はこの若武者の顔を見てはっと我に返ったのであった。薄化粧をした美少年で、自分の息子小次郎と同じぐらいの年齢ときた。まるで息子に手をかけるようなものではないか?ところで直実はまだこの少年の名前も知らない。もう戦いの趨勢は決まったも同然、この少年の首をとったところで何の影響もないではないか。できることならお扶け致したい、せめて名を名乗っていただきたい・・・ところが少年は「名を名乗らずとも、首実検でお分かりになるでしょう」と彼の情けも拒絶したのである。
 なんともいたたまれなくなった直実だが、御味方も次々と押し寄せている。どうせこの少年は助かるまい。それなら自分の手で討って、供養をさせていただきましょう、と泣く泣く首を取ったのであった。直実は、世の無常を強く感じ、後に義経にお暇を願い出て出家の身となるのであった。


↑神戸市にある須磨寺に行ったら、なんと「あの名場面」を再現するセットが!


↑須磨寺で見つけた「敦盛の首塚」・・・地元の人の敦盛に対する同情は大きかったのだろう。

一の谷嫩軍記〜熊谷陣屋の場・・・もしかして敦盛は生きてたんじゃないの?

 歌舞伎の世界では、さらにこの名場面にサスペンス風の憎い味付けで迫ろうとした。ちなみに「一の谷嫩軍記〜熊谷陣屋の場」は、わたしが初めて観た歌舞伎でもある。

 さて、一の谷の合戦も終わった直後の熊谷次郎直実の陣中に、妻相模がやってきた。父に従い陣中に赴いている息子小次郎の身を案じてである。直実は、妻が家を飛び出して合戦の場までやってくるとは何事ぞと不機嫌である。直実は、平敦盛を討ち取った旨を語って聞かせるが、直実、声が多少上ずっている(ように見える)。そこへ襖の間から「おのれ直実!息子の仇!」と斬り込んで来たのは平敦盛の母、藤の方であった。直実は難なく藤の方を取り押さえるも、直実、相模とも非常に恐縮している。それには深い訳があった。直実はかつて、相模と密通し、不義の罪を問われたところを藤の方に助けられた、という経緯があった。その時に相模が身ごもっていたのが息子小次郎である。二人にしてみれば藤の方は大恩人なのである。その息子のお命を頂戴することになろうとは・・・。

 落胆する藤の方、とにもかくにも藤の方に適当な言葉をかけようと苦心する相模・・・直実は「これより首実検に参上しなければならぬ」と出かけようとしたところで、大将義経が現れる。直実、首実検はここにて行う、との命により、包みから首を取り出す直実・・・。なんとまあ!その首は息子小次郎のものではないか!
 愕然とする相模と藤の方・・・。直実は義経より、「一枝を伐らば一指を剪るべし」との命を受けていた。この歌舞伎においては、平敦盛の出生の謎にも大胆な仮説を立てる。敦盛は、平経盛の末子として育てられたが、本当は後白河院と藤の方の間にできた子だとする(院も日頃の行いがお悪いから後世、だしにされるのですぞ!)。皇室の血を継ぐ者であるが故に、「○○を○○として、○○の命を助けよ」という一見謎めいた密命の意味が明らかとなる。直実は涙をのんで我が子の首を刎ね、身代わりとして首実検に供したのであった。

 この一部始終を盗み聞きしていた頼朝の「犬」梶原景高が「この話を鎌倉殿に密告してやろう」と走り出したところで、石屋の弥陀六の投げた石のみで絶命する。はて?この弥陀六という男は何者?義経はこの男を、かつて自分を助けてくれた平弥平兵衛宗清と見破った。宗清は、自分の行為が為に、平家方が斜陽を迎えるはめになったことを悔いる。義経は、敦盛の入った鎧櫃を宗清に預け、旧恩に報いようとしたのであった。鎧櫃の中の敦盛は、「石屋の弥陀六」に背負われて消えていく。

   自分の息子の命を差し上げてまで主人の命に忠実だった直実、武士たる者の宿命といえども世の無常を感じずにはおれなくなった直実は、義経にお暇を願い出る。義経の許しを得た直実は、出家の身となり、亡き小次郎の供養のために終わりなき旅に出る。戦乱の続く国々を放浪する直実・・・合戦の騒音に耳を塞ぎつつ、直実は彼方へと消えてゆくのであった。

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