禅文化の鎌倉〜そして日蓮の法難

迫る危機

 源義経は衣川で自刃した。本当か?あの義経ともあろう人物があんな場面で人生を終わらせるものか?伝説はいつしか東北の地を覆っていった。岩手県出身のわたしの母上も、もちろん義経はその後も生きていたと信じている。彼は三陸海岸から海へ出て、はるか北方へ向かったという。彼は北海道の地に数々の伝説を残し、そしてユーラシア大陸へ渡って後にチンギス=ハーンと称してモンゴルを統一したという。*注
 モンゴルから中央アジア・東ヨーロッパ・中国・朝鮮・・・チンギス=ハーンとその子孫達の率いる騎馬軍団は、世界制覇の目前まで来ていた。ユーラシア大陸のほとんどを占める超帝国の出現である。第五代ハーンに即位したフビライは国号を大元と定め、自らを皇帝と称した。フビライは騎馬民族の伝統だけでなく中国風の新国家の建設をすすめた。朝鮮半島の高麗を属国とした元は、次なる標的を中国南部を支配する南宋とそして我が日本国に定めたのである。

 さて鎌倉では〜ある僧侶が精力的に人々に説法を行っていた。日蓮である。彼は念仏や禅を否定し、法華経を唱えなければ国難が生じるだろうと人々に説いた。鎌倉方にとって彼の存在は疎ましいものだった。北条時頼は禅宗寺院である建長寺を創建し、京都の公家文化に対抗しうる禅文化を保護しようとした。建長寺の建立は鎌倉方の国家事業と言ってもよかったのである。さらに鎌倉では浄土宗の念仏も大いに盛んであった。日蓮は、これら他宗こそ飢饉や天災、他国侵略の危機が起こると排撃しようとしたのである。時頼は、日蓮の主張が要約された「立正安国論」を事実上無視した。すんなりと受け入れる訳にはいかなかったのは無理もないことだった。


↑建長寺三門に書かれたお題目を見た。まさしくそのとおりという感じ。


↑灯篭を見ると、北条氏の家紋である北条鱗がキラリ・・・。

運命の序曲〜フビライから国書が届く

 フビライは日本侵攻計画を着々と進めていた。しかし日本国は朝鮮半島から海を渡らなければならない。その為には膨大な船舶と乗員を必要とするはずだ。フビライはまず、日本に国書を送りつけることにした。友好関係を結びたい〜元は世界の中心なのだから断るのは理に反する〜出来ることなら武力は使いたくはないと考える次第・・・ほとんど脅迫めいた文面に鎌倉は対処に悩んだ。「返書の必要はありません!」ときっぱり意見したのは時頼の嫡子〜相模太郎=北条時宗であった。時宗は、断固たる日本の決意を示さなければいずれ属国になってしまうと考えていた。彼はこの後、不屈の精神で元軍への抵抗を指揮するのである。

 日蓮の予言は見事に的中したのだった。日蓮は鎌倉で精力的に説法を続けた。人々の間に動揺が湧き上がると同時に他宗の関係者は憤慨した。それは日蓮が他宗を排撃する姿勢を崩さないからである。鎌倉方はついに日蓮の佐渡追放の沙汰を下した。それは表向きのことで、龍の口刑場で処刑することになっていたのである。北条専制体制の傲慢の現れであった。だが、絶体絶命の危機に奇跡は起きた。日蓮が斬首されようとしたまさにその時、稲妻のような光の玉が空を乱舞し、刑吏の刀を一瞬に砕いた。「こ、これは何だ!」と驚愕する刑吏達。異様な光の玉は鎌倉市中でも観測された。不吉な予感に慄いた鎌倉の高官は処刑の中止を命令、日蓮は佐渡へ流されたのであった。


↑日蓮上人法難の地「龍の口」に建立の龍口寺。毎年9月に「法難会」が盛大に営まれる。

*注:もちろんこれは俗説である。でも夢があって面白い話には違いない。お説教は専門家にお任せしときます。



→いよいよ最終章!〜「激突!文永、弘安の役!」

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