平泉写真集〜毛越寺

JR平泉駅から徒歩七分程度〜落ち着いた雰囲気がいい

旧観自在王庭園毛越寺

 JR平泉駅から毛越寺方面に歩くと、まず「旧観自在王庭園」が見えてくる。藤原基衡の妻の建立で、池のある風景は毛越寺そっくり。藤原氏の時代、このような庭園が腐るほどあったのだろう。いよいよ毛越寺へ!正面入り口の門は、一関藩(伊達藩の支藩)の陣屋にあった門を移設したもの。ここもまた伊達文化が色濃く残る。

夏草や 兵どもが 夢の跡毛越寺

 松尾芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」の有名な一句を刻んだ碑を見て、さらに本堂へ進む。本堂の前に人だかりができていて、警備の警官もいる。どうやら「延年の舞」が行われているようだ。お坊さんの解説を聞いた後、「路舞」が披露された。幕末まで多くの舞や能が伝承されてたそうだが、明治政府めによって強行された廃仏毀釈で一時廃れたという。

延年の舞
延年の舞毛越寺

現代の毛越寺は、伊達の文化といふべきか

 藤原時代、毛越寺界隈は数十塔もの堂塔が林立していたという。長い年月のうちに、火災や兵火で焼失し、いまや「庭園跡地」の雰囲気である。近世において、伊達藩が「礎石の移動を禁止する令」を出すなど、積極的に文化財保護にあたったという。庭園の周囲や伽藍跡の杉や松の木は、藩が目印のために植えたそうだ。

毛越寺毛越寺

毛越寺毛越寺

やっぱり来てよかった!毛越寺の美しい庭園

 藤原まつりでは源義経公東下り行列が行われる。毛越寺がスタート地点となるそうで、たいそう賑わうようだ。タッキーが義経役で平泉入りした時は12万人の観光客が殺到した!その時の話を伺ったら「トイレも入れなかった」とのこと。沿道警備をした人の話によると、「あんた邪魔や、顔見えへん!」と獰猛なおばはんに頭叩かれたらしい。ご婦人の皆様方の興奮ぶりが目に見えるようだ。

毛越寺

 ↑つつじが美しい!緑の濃淡が絶妙な風景をつくってますな。

毛越寺毛越寺

曲水の宴曲水の宴

曲水の宴の舞台となる遣水

 曲水の宴(ごくすいのえん)は、水路に盃を浮かべ、その流れに合わせて和歌を詠む催しだ。平安時代の優雅なお遊びで、参加者は十二単などを着こんで水辺に座る。JR平泉駅の観光案内にあった絵に、お祭りの様子が描かれていた。水路は長年にわたり埋まっていたらしいが、発掘作業により平安当時の姿がよみがえったとのこと。

九百年前に花開いた理想郷はまさに「イーハトーヴ」な世界

 源平の争乱に明け暮れた平安末期、争いのない現世浄土の地を願い、そして花開いた奥州藤原氏の平泉文化。彼らが目指した理想郷は、宮澤賢治が思い描いた「イーハトーヴ」に通じるような雰囲気を感じる。厳しい現実しかない俗世間に忽然と現れる理想郷のような世界と、それを創造する岩手の賢人たち〜岩手県人は、何だか内気で保守的な気質をイメージするが、時折現れる「岩手賢人」といえば、はるか遠い海外の文明も取り入れた奥州藤原三代の賢人達といい、宮澤賢治先生といい、総理大臣を経験した斎藤実とか米内光政とか、なにかこう日本人離れした雰囲気を持っているところが面白い。このギャップがまた岩手県の魅力を一層高めているのだろう。

【岩手じぇじぇ〜な写真集】 平泉〜奥州藤原氏の栄光

・平泉駅前の力餅大会 ・中尊寺 ・毛越寺


北条四郎のホームページ〜イーハトーヴの世界を堪能〜勝手に岩手県紀行

【岩手じぇじぇ〜な写真集】

・すべてはここから〜盛岡市

・平泉〜奥州藤原氏の栄光

・意外な穴場〜江差

・気持ち的には岩手県八戸市!

・じぇ!あまちゃんの聖地巡礼

【勝手に歴史紀行編】

・壬生義士伝の世界

勝手に岩手県紀行Homeに戻る


.
copyright (c) 2007 hojyo-shiro. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system