出発前、東京駅で原敬暗殺現場を見た。賊軍の汚名返上の象徴的存在だった原敬さん。彼もまた非業の最期を遂げたのだ。彼について歴史教科書では、「平民宰相」などと呼ばれたりする。爵位をもらってもいいくらいの人なのに、あえて固辞したことが評価されているのだ。と言っても彼はしたたかな現実主義者、若いころは爵位を利用して勢力拡大を考えたこともある。後年、「薩長藩閥政府の貴族ごっこなどと、むしずがはしる」という態度は平民受けを狙った部分もあるだろうが、それ以前に南部武士の意地もあったと思う。・・・さて、新幹線はわずか3時間弱で盛岡駅へ到着!
「西に岩手山がそびえ、東には早池峰。北には姫神山。 城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す。(壬生義士伝から)」・・・残念ながら、天候の関係で岩手山はかすんで見える。
盛岡地方裁判所の敷地内にある有名な「石割り桜」〜本当に石の間から生えているのだ。残念ながら今年(2008年)の桜は早く散ってしまった。東京より盛岡の方が暑いんだな(笑)。桜が満開になると、もちろん見物客でごった返す。
原敬さんの銅像と、三ツ石神社も見てきた。鬼の退散を喜んだ村人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」といって踊ったのが「さんさ踊り」のルーツだとか。
鮭も登る中津川、そしていよいよ盛岡城に登城!右上の写真だが、はじめ、これが何を表現したい構造物なのか拙者は分からなかった。ところが説明書きを読んで・・・これはもう「最敬礼!」という感じですな。「南部中尉像台座」
・・・南部家42代利祥は日露戦争に従軍、最前線で戦い戦死した。賊軍の汚名をそそぐために、お殿様自ら死地に赴いたのだ。旧藩士達によって立派な銅像が作られたのだが、なんと太平洋戦争の資材供出で没収されてしまった!これで台座だけが残ってしまった訳です。石垣の構造物も撤去され、維新後の功労者像も撤去された。それでも盛岡の人々はグレることなく寡黙勤勉なのだから頭が下がる。人が好すぎるんじゃないかと・・・。