モスクワじゃありません。この画像、東武ワールドスクエアで撮りました・・・おかげさんで安く済みました。レニングラードじゃありません。この画像、東武ワールドスクエアで撮りました・・・東武鉄道様、素晴らしい素材、ありがとございました。

  映画:ベルリン陥落

戦後巻き起こった「ジダーノフ批判」とその影響

 1946年に始まった「ジダーノフ批判」により、ソビエトの音楽界は窮地に立たされた。音楽だけではない、芸術の範疇にはいる創作のたぐいはことごとくその影響にさらされたのである。一体芸術の何を批判しようというのか?21世紀の「自由」世界に住んでいる我々にはなかなか理解できない。学術的な詳しい説明は専門家にお任せするとして、要はソビエト社会主義の国策に合わない表現は批判の対象になったということだ。西欧的な前衛芸術などは批判の筆頭になったことは言うまでもない。
 音楽家ではショスタコーヴィチだけでなく、プロコフィエフやハチャトゥリアンも批判の矢面に立たされたのである。いずれも20世紀を代表する大音楽家達だ。音楽という抽象的な音の波動現象たるものが、何をもって退廃的なのか、そうでないのかの区別がつくのだろう。世俗の人間の、ことに政治的な意味づけほどやっかいでくだらないものはない。言えば何とでも言えるのだ。

全く奇妙な映画「ベルリン陥落」

 ベルリン陥落 [ ボリス・アンドレーエフ ]

 ショスタコーヴィチは、この時代相次いで国策映画のVGMの作曲を行っている。ジダーノフ批判にさらされた芸術家の多くは自己批判をさせられ、「転向」することを余儀なくさせた。その中で「映画:ベルリン陥落」は、その時代のショスタコを象徴するような存在だ。
 ロシアの研究者は口をそろえて「こんな奇妙な映画はない」というこの映画、一体どれほどくだらない映画なのか、実際に鑑賞してみた。驚くことに、ツタヤで平気でレンタルされておる。パッケージに曰く、スターリン崇拝の度が過ぎる故に、スターリン死後に発禁処分となった幻の映画なのだそうだ。御存じの通り、スターリン死後、これまでへえこらしてた連中は掌を返したようにスターリン批判を行なった。そして側近や腰巾着共を血祭りにあげていく。その余波を受けて、独ソ戦勝利を祝った国策映画が逆にお蔵入りを喰らった訳だ。
 さて、その映画の出来具合なんだけど、惜しいことにDVDがモノラルで、せっかくの音楽が上手く聴き取れない。ドイツ軍進撃の場面は、交響曲第7番の第1楽章を持って来ていた。可笑しかったのは、ヒトラーが愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げる場面が、なぜかメンデルスゾーンの結婚行進曲なのである。メンデルスゾーンはユダヤ系であり、ナチ体制下では安易に演奏出来なかったはずだ。人民が苦しんでいる最中に呑気に結婚式を挙げている滑稽さを表現するために、あの曲を延々と流しているのが反対に滑稽だ。メンデルスゾーンがユダヤ系だということをソ連人は知らないらしい。
 ヒトラーを演じている俳優は、顔は良く似ているが長身だったらしく、懸命に猫背になっているのが笑える。執務室に酒の瓶があるなど、明らかに史実を分かってないまま作っているのは、情報の乏しい当時としては仕方ないだろうが、ヒトラーを道化師のように描く手法は、独裁者ヒンケルの影響のように感じる。


何故かイギリス人が悪者に

 国策映画だから、ソ連当局の手前勝手な都合で描くのは当然のことだが、だからこそ分かって来ることもある。気になったのは、これまで同盟国だったイギリスを、やたらと斜めに描いていることだ。ゲーリングと結託してドイツ軍に物資を供給するイギリス人などは、その典型だ。チャーチルを、煮ても食えないクソジジイのように描いていて、ヤルタ会談での駆け引きなどは或る意味見応えがある。イギリスの狡猾な外交姿勢は事実だが、ここまでえげつないのは、東西冷戦が始まっているからだろう。終戦を見る前に亡くなったルーズヴェルトは、逆に物分かりのいい好人物(というか、半分ボケてるような爺さん)と描いていて、如何に彼がソ連に便宜を図っていたかを物語る。それが如何に大失態だったかは歴史が証明しているが。
 ソ連一国が苦労させられて、イギリスは内心ほくそ笑んでいるんだ、と言いたいのである。半分事実だけど。

ジューコフ?そんな人いましたっけ?

 ソ連軍を代表する軍人は誰だ!と聞かれて、ほとんどの人はジューコフ元帥を挙げるだろう。その忍耐強さは、ドイツ軍を根負けさせたと言っていい名将だが、そのジューコフが映画でほとんど登場しないのである。ベルリンを陥落させた立役者は、スターリングラード攻防戦で名を挙げたチュイコフや、コーネフ、ロコソフスキーといった面々で、ジューコフの姿は無い。実は、彼の名声ぶりが凄まじかったが故に、スターリンが彼を遠ざけようとしたのだ。事実、ジューコフは一軍管区の指揮官に左遷されてしまった。公式の戦史編纂からも削除される徹底ぶりだった。そりゃ、映画にノコノコ出て来るはずが無い。自国の戦いぶりさえ正確に分からないのだから、やはり「奇妙な映画」でしか無いのである。

 ソ連軍の詳しい事が分からない以上に、モスクワ指導部の詳しい事がもっと分からない、というのも、この映画の特徴である。スターリンが登場する場面は、淡々とした作戦会議のみ。人間関係なんか、ほとんど分からない。逆に、ベルリンの方が濃密に描いている。ヒトラーと将軍達との確執、ゲッベルスの狂人ぶり、ゲーリングの貴族趣味や裏切り。良くも悪くもエヴァ・ブラウンの登場で華やいだりする。ヒトラーの台本は、スターリンの台本より字数が多いのでは無いか?ヒトラー演じる俳優氏の熱演は、明らかに主役を食っている。格好悪い役の方が難しいし、テクニックを要するのだ。やっぱりこれは「奇妙な」映画である。




↑第三帝国〜ドイツ側から描いた「ちゃんとした映画」はこちら

 茶番という次元を超えた茶番なのは、ラストシーンであろうか。廃墟と化した陥落直後のベルリンに、なぜかスターリンが颯爽と現れる。解放されたユダヤ人やベルリンの市民はそれを見て「解放者スターリン万歳!」などと叫ぶ。イギリス人を除く連合国の将兵(笑)も、大手を振っての歓迎ぶり。それはないだろと呆気にとられる。もちろんそんな史実はない。何が起きていたか?ソ連兵による略奪暴行の嵐だった。スーパーマンみたいな主人公の兵士だって、頭の中はドイツ女を捜し出して強姦することしか考えていない。それなのに、戦争の被害に遭ったベルリンの市民の大半は、地下鉄に逃げ込んだ際に、ナチ親衛隊が放水路を爆破したことが原因だと言いたがっている。まぁ確かに犠牲者は出たんだろうが、ソ連兵に虐殺された人間の方が遥かに多いなんて正直に言うはずが無い。
 この映画が公開された当時、酒場で酔った帰りに映画館に足を運んだ赤軍の佐官が、ラストシーンを見て「嘘や!スターリンがベルリンに飛行機で乗り付けたなんて、あり得へん!」と叫んだそうな。彼は即刻秘密警察に逮捕されて、数年間刑務所にブチ込まれたという。こんな映画に曲を付ける仕事をしたショスタコーヴィチは、どんな想いを抱いたのであろうか。逆に自虐的な悦びを見出したのかも知れぬ。そして譜面に思い切り暗号を散りばめたのかも知れぬ。


北条四郎のホームページ:ドミトリ・ショスタコーヴィチのコーナー


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