ルートヴィヒ

何が面白くてこんな映画作ったのか!と不思議に思いつつ延々最後まで付き合ってしまう

 プロイセン主導によるドイツ統一が決定的になりつつあった19世紀後半、斜陽を迎えたバイエルン王国の王となったルートヴィヒ2世が、政治から逃避して芸術に凝ったり、お城の建築に凝ったりと、退廃的な日々を送って最後は野垂れ死ぬ、という物語。
 そんな映画の、なにが面白いのか!と言いたくなってしまう。しかもこの映画はとてつもなく長い。四時間はあろうか。映画会社が「あまりにも長すぎる」と、ルキノ・ヴィスコンティ監督にクレームをつけた。公開当初は三時間に削られたそうだが、近年「カットシーンも含めた完全復元版」がDVDで出た!二枚組み四時間!何日か掛けてようやく見終ったほどの難物である。時間がかかる理由は、とにかく一つのシーンが長いからである。

 

 よほど気の長い人でないと、拷問に近い難航苦行を強いられる。遠くから皇女さまを乗せた馬車がトコトコとやってくる、そんな場面を延々と見させられる。馬の装飾を貪るように見たい人でないと叫びたくなるほど退屈かもしれない。エリーザベト皇后が優雅にお城を歩くシーンもまた長い。この鷹揚とした足どり〜何事もスローモーションの旧態依然としたオーストリア帝国〜これじゃープロイセンに負けるわな、と納豆納得でごぜーます。家臣や神父がルートヴィヒ2世にお説教を垂れるセリフなどと、猛烈に長い。よくまぁ、そんな長いセリフを暗記できるもんだと感心しちゃうよ。



↑豪華二枚組DVD〜全てが重厚長大

ほとんど詐欺師に近い「大作曲家ワーグナー」

 華々しい戴冠式から始まる映画だが、ルートヴィヒ自身の精神の不調が進むのと比例して、映画は寒々しく寂寥感あるものに変わっていく。それと対を成すのは、バイエルン王国から金を巻き上げて幸せな家庭を築くワーグナーの姿である。この映画に登場するワーグナーはほとんど詐欺師めいていた。債権者に追われるワーグナーを保護したルートヴィヒだったが、軽く足元を見られて金だけ巻き上げられる様は、ほとんど正視に耐えないものがある。ワーグナーとその愛人コージマと、妻の不義を見て見ぬふりをする大指揮者ハンス・フォン・ビューロー、いずれも人としてクズとしか言いようがない。
 ワーグナーを崇拝する人間というのは、どこか精神的に問題があるという言い方は語弊があるかも知れないが、少なくとも様々な映画で描かれるワーグナー崇拝者は明らかに異常人格だ。ヒトラーなんかその代表格だが、このルートヴィヒもそうだし、映画「地獄の黙示録」で戦闘をスポーツだと勘違いしている狂った指揮官は、ヘリに備え付けられたスピーカーでワーグナーを大音量で流して機銃掃射するというバカっぷり。ワーグナー崇拝者の人格を学術的に研究した事例があるのかは承知していないが、そうです、だって本人がろくでもない人間ですから、と考えると何とすっきりすることか・・・。

普墺戦争〜そりゃー負けるわな・・・

 ルートヴィヒは次第に精神を病んで政治から逃避するのがイタい。弟君は、同盟軍に気を使うあまり前線で心身を病むが、肝心の国王は部屋に閉じこもって「プラネタリウム」を見ている。既に引き籠りの前兆だ。弟君が助けを求めても、彼は何もしようとしない。もちろんこんな体たらくでプロイセン軍に勝てるはずもなく、バイエルンはオーストリアと共に完敗を喫する。
 王の忠実な侍従武官であるデュルクハイム大尉は、無礼を承知で王に諫言するが、引き籠りに何を言ってもどうにもならない。なるほど上に立つものには、それなりの辛さがある。職業選択の自由などあるはずもないが、恋愛の自由も性交渉の自由も事実上無いに等しい。そのような宿命は宿命として甘んじなければならない。それは彼一人の問題ではないからだ。
 プロイセン首相ビスマルクは、敗北したオーストリアに対し、賠償金も吹っかけ無かったし、領土の割譲も要求しなかった。来たるべきフランスとの対決を睨んで、手加減を加えたのである。そんな訳で、バイエルンなどと屁とも思ってない。国王がこのザマなのだから、なおさらのことだ。

婚約破棄、アル中に虫歯に引き籠り〜もう行くところまで行ってまえ!

 もう見ててうんざりしてくる。オーストリアの公女ゾフィーとの婚約破棄から、映画は奈落の底に落ちまくる。ルートヴィヒが密かに思いを寄せたのは、ゾフィーの姉でオーストリア帝国皇后エリーザベトであった。でもこれは女性に対する愛というよりも、母性を求めているように感じる。ルートヴィヒの本質は同性愛であった。



↑北条隆時氏撮影のノイシュヴァンシュタイン城〜晴天は奇跡だったとか

 にもかかわらず彼女の存在は特別だったらしい。莫大な金を浪費したノイシュバンシュタイン城をエリーザベトが訪問するが、アル中に虫歯に引き籠りで、それこそ人民を搾取する豚のごとき醜悪な姿となったルートヴィヒは、面会を頑なに拒絶する。余は病気だ、本当にそうかも知れない、誰にも同情されたくない!と泣く姿は、ヘルムート・バーガー一世一代の名演とされている。ちょっと気持ち悪いんだけど・・・。
 まぁ彼のお蔭で後世のバイエルン州に観光資源を残してくれた訳で、それを思うと複雑だが、王国の威光を世に知らしめる上で築城そのものは無意味ではない。彼のイタいところは政治へ無関心であろう。

 既にプロイセンを中核とするドイツ軍はフランスを蹴散らし、ベルサイユ宮殿鏡の間でドイツ帝国の建国が宣言された。歴史の決定的場面における彼の不在は致命的だ。ビスマルクもさすがで、帝国入りを承認する同意書の「ひな形」を彼の元に送りつけてくる。もはやバイエルンは一国としての意思表示すら出来ないのだ。

 さすがにこのまま看過できない閣僚によって、ルートヴィヒは退位させられるが、気の毒なのはデュルクハイム大佐。閣僚のセリフから推測するに、よほど人望のある人物らしい。彼は最後までルートヴィヒを擁護する。最悪の場合はスイスへの亡命まで考えたりするが、当の本人があまりにも無気力過ぎてどうにもならない。不登校になった児童や、大人になって引き籠った人間を説得することの困難さとは、つまりこういう感じなんだろうと思う。だって、返ってきた答えは「薬局に行って毒を買って来い」だぜ。じゃさっさと死ねよ、って逆ギレする訳にもいかず、大佐は閣僚達の前で軍刀を机に置いて立ち去る。
 逮捕された後のルートヴィヒは完全な監視下に置かれるが、ドアの覗き穴から監視されていることにプライドもズタズタにされる場面が印象的である。この時点でもう自殺を本気に考えていたかも知れない。彼の死は、他殺説を含め未だに謎めいている。
 だが、あるシーンがどうしても気になった。ルートヴィヒが行方不明になり、直ちに捜索が開始される。閣僚のリーダー格であるホルンシュタイン伯爵が「発見され次第、拳銃を撃って知らせる!」と言って足早に出て行くのを見て、独りの閣僚が怪訝な表情を浮かべる。なんかもう、死体となっている前提じゃないの?そんな気がした。無事見つかったとして、これまで自分達が仕えていた国王の目前で拳銃をぶっ放すことが出来るのかね?

 しかしながら、映画では何かを明確に伝えようとする表現は無い。判断はあくまで映画を見る者に委ねていると言えよう。


北条四郎のホームページ:敗者のための映画館


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