西に岩手山、南に早池峰山・・・ 盛岡の石割桜

大して泣けない「映画版:壬生義士伝」

中井貴一の努力は認めるが・・・・

 幕末の南部盛岡藩は、東北列藩同盟に加わって薩長新政府を相手に戦った歴史を持つ。会津藩と共に「賊軍」の汚名を着せられ、苦難の歴史を歩んできた。会津藩については、白虎隊があまりにも有名で、数多くのドラマ・映画に登場することとなり、日本人の涙を誘ってきた。ところが南部藩は、あまりにも地味な存在だった性か、全国的に知られる人物・エピソードに欠いていた、と言える。
 作家浅田次郎氏によって「吉村貫一郎」という南部藩士が「壬生義士伝」という小説にまとめられることとなり、南部藩の歴史が広く知られるようになった、と言える。そして平成14年、テレビ東京によって「新春ワイド時代劇:壬生義士伝〜新選組でいちばん強かった男」で正月早々お茶の間の涙を誘い、平成17年映画化されるに至った。

 テレ東版は吉村役に渡辺謙さん、映画版は中井貴一さん。「どっちが泣けたか」となると、断然テレ東版が泣けた。ここまで泣けたドラマ、初めて見たような気がする。それもお涙ちょうだいレベルでなくて号泣に近いくらい(笑)。渡辺謙さんの感情移入ぶりも半端でなかったが、奥さん役の高島礼子や組頭役の内藤剛志がいい味出し過ぎて、これまた号泣ものだった。



 残念なことに映画版は全く泣けなかった。というか、描く視点が根本的に違っている。時代は明治の中ごろ、ある老人が孫の感冒を診てもらうために町医者を訪れた。そこに飾ってあった一枚の写真を見て、老人は数十年ぶりの「武者震い」を経験する。忘れもしない・・・この男こそ、一度は斬り伏せたいと思った「吉村貫一郎」ではないか!・・・要は新撰組の生き残りである斎藤一(佐藤浩市)の回想として語られるのである。

東京都日野市で行われた新撰組まつりから我らが土方歳三〜東京都日野市出身東京都日野市で行われた新撰組まつりから

若き日の斎藤一、彼のクールな視線

 新撰組きっての「ひねくれ者」であった若き日の斎藤一、そんな彼の前に突如現れたのは「吉村貫一郎」という、何やら貧乏くさい元南部藩士。斎藤一はこの吉村に心底我慢ならん心境であった。こいつは何かあれば手当くれ、手当くれと言ってくる。人を斬ったから手当くれ、刃こぼれしたから手当くれ・・・この前なんか「斎藤しぇんしぇい!私闘は禁じてるはずでがんす」とか言い寄ってこの俺から口止め料を巻き上げて行きやがった!何でも国の家族を食わせるために出稼ぎに来たらしく、暇さえあれば家族自慢にお国自慢・・・「西に岩手山、南に早池峰山・・・」ってもう聞き飽きたわ!
 もちろん、斎藤一の視点はクールだ。死んでなお損得も無し馬鹿野郎的な気持ちで出鱈目やってる身分だけに、人を人だとも思っていない。だから映画としても非常にクールな訳だが、そこがまた幕末という荒んだ時代をリアルに表現している。その彼が唯一、生身の人間としての感情を許すのは、遠く奥州から島原まで売られてきた、ぬい(中谷美紀)という女性であった。ぬいの艶やかな姿は、荒んだ日々に突如として暖かく灯る蛍の光。蛍を追いかける「ぬい」の姿に、吉村は国に残した妻の姿を追いかける。ホッと一息つけるような美しい描写である。

壬生寺 島原の遊郭があったところ

↑今にも新撰組隊士がフラリと出て来そうな壬生寺 〜 島原の遊郭があったことを伝える門↑

 新撰組隊士の命をかけての奮闘にもかかわらず、幕府の退勢は明らかであった。にもかかわらず、吉村は仲間達を励まし、律儀に闘い続ける。斎藤は、こいつ意外に骨のある男だな、と驚きつつ、これまで思ってもみなかったことを言い出す。お前はもう家族の元へ帰れ!逃げろ!死んで行くのは俺みたいな、死んでも誰も悲しまない奴でたくさんだ!
 暇さえあれば「西に岩手山、南に早池峰山・・・」とか言ってんなら、とっとと国に帰ればいいだろ!と愛憎ごちゃまぜの感情が噴き出す訳だが・・・ところが吉村は白刃を振りかざし、重武装の薩長軍の前へ飛び出していくのであった・・・。吉村の姿が白煙に包まれて消えていくだけの表現は、確かにクールな演出である。

壬生義士伝〜その虚と実

 あまりにも貧乏な南部藩、家族を養うために脱藩して新撰組に加わる「吉村貫一郎」を描いているのだが、実はこの人物の詳しいことは分かっておらず、大昔の小説家「子母澤寛」の創作が大部分を占めているという。三宅裕司演じる大野次郎右衛門も、完全に創作上の人物である。
 何だか感激も半減してしまいそうな話で恐縮だが、だからと言ってこの映画が無意味な訳でない。映画のなかで大野次郎右衛門は、瀕死の吉村を切腹に追いやった負い目から、薩長との全面対決に突き進むことで、自分もまた侍であり、男であることを示す訳だが、これは実在した南部藩家老「楢山佐渡」を間接的に描いている。吉村貫一郎についても、典型的な南部藩下級武士を象徴している訳で、南部藩の極貧ぶりを十二分に理解できる訳だ。

 歴史小説は、創作なしに成り立たない。架空の人物に語らせて、歴史的背景を浮き彫りにする方法は、ルール違反でも何でもない。この映画が、南部藩の歴史を理解する上で大きな貢献をしたことをまずは讃えたい。

*母方の遠い先祖が南部藩士だったので、偏った評価になってたらすいません。


北条四郎のホームページ:敗者のための映画館


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