「八戸を観光してきます」と言ったら、盛岡の親戚が「はづのへ?どこさ行ぐ?」と不思議そうに聞くのだ。いや、根城(ねじょう)の復元がなかったら、拙者も素通りしていたかも知れない。JR八戸駅東口から市中心部行きのバスに乗って数分、根城大橋というバス停で降りると、何やら古めかしい中世の城が見えてきた。質素な御家人屋敷の雰囲気だ。
南部氏の一族で南部師行という武将がいた。元々甲斐の国に領地を持っていたが、鎌倉幕府滅亡→建武の新政→南北朝の対立といった激動の時代に活躍した人だ。南部師行は北畠顕家に従い奥州下向、糠部郡の郡代を命ぜられ、根城を築城したとされる。足利尊氏の離反によって国内は南北朝分裂時代を迎えたが、師行はあくまで南朝方として足利軍と戦い、最後は北畠顕家と共に戦死するのである。
本丸の真ん中に位置する主殿の建物はさすがに大きい。台所や控室、南部氏の武運長久を願う儀式の様子など、学術的な検討を重ねて復元されたリアルな展示が目を引く。中世の城郭がこのようにリアルに復元され、見せる展示として公開されているのも珍しいし、貴重と言える。
さて根城本丸は、主殿以外にも様々な建物が復元されている。しかしながら、主殿以外は竪穴式住居のような感じだ。中世なんて、せいぜいこんなものっス、という訳だ。「見学する時は頭上に注意してください。」と注意書きがある。とにかく入口が狭いのだが、中は半地下式で案外快適である。武具修理工場や、お殿様の為の調度品置き場、米俵を保存する倉庫など、展示品はリアルそのものだ。
さて、南部師行の活躍によって、根城南部氏は南部一族のトップにのし上がったようだ。南部氏の一族は数多い。しかしながら、師行亡き後の根城派は、南朝方の敗北によって旗色が悪くなってしまった。次第に三戸南部家に主導権を奪われていく。江戸時代になると、もう完全に三戸南部家が宗家を相続する形で「南部藩」となり、根城南部氏は遠野へ移封、盛岡南部家の家臣の地位に転落してしまった。