白虎二番士中隊の悲劇

戸ノ口原での敗戦、そして飯盛山までの逃避行

 状況がよく分からぬまま、白虎二番士中隊の少年達は戸ノ口原へ進出した。そこで官軍を迎え撃とうとしたのだが、彼らは思わぬ不運に見舞われた。前夜から食糧調達に出掛けていた隊長、日向内記が戻って来ないのである。食べ盛りの少年達に、空腹ほどつらいものはない。指揮する大人がいない心細さも手伝って、彼らはパニックになり始めたのも無理はない。
 そこで、隊士である篠田儀三郎が指揮をとることになった。夜が明け、官軍がどんどん目の前に進出してくる。隊長らしき奴は、頭に赤いしゃぐまを被り、兵隊は黒ずくめのカラスの集団だ。「撃で!」と射撃を浴びせるものの、みんなの持ってる銃は中古品で、撃った方も弾がどこへ飛んでいくか分からないという代物だった。敵の何人かは倒れたが、おびただしい数の敵は喚声を上げて突撃してくる。しまいに高地から砲弾も飛んで来るにおよび、少年達は陣地の保持どころか逃げ回るのに精一杯だった。
 篠田は「ともかくお城に帰るべ」と決意した。彼に従う者は20名、敵の影におびえながらの、みじめな逃避行だった。猪苗代湖から水を引く洞穴「戸の口堰洞穴」を潜り抜け、少年達は飯盛山へ出て来た。


↑戸の口堰洞穴〜作家早乙女貢先生も中へ入って実験したそうだ。すぐ前は厳島神社↑


↑厳島神社から階段を登って行くと、さざえ堂という面白い建物がある。↑

飯盛山で彼らが目にしたものは、炎上する鶴ヶ城だった・・・

 逃避行から一夜が明けて、彼らは飯盛山の高台へ出た。空腹で疲労困憊している彼らに飯盛山とは皮肉なものだ。高台から見える鶴ヶ城は、もうもうと煙を上げている。鶴ヶ城をめぐる攻防はまだ始まったばかりで、もうもうと上がる煙は、本当は城下を焼く煙であった。見通しの悪い天気のいたずらもあって、あたかもお城が燃えているように見えてしまったのだ。
 「お城が燃えてるのか?お殿様はご無事だろうか・・」 「いや、きっとお腹を召されたべ」・・・

 もうだめだーという絶望感が少年達を貫いた。殿様も切腹、お城も炎上となれば、家臣ともども討ち死にか自害してるに決まってる。自分達も後を追うしかない・・・少年達の選んだ道は、もう一つしかなかった。

飯盛山〜戊辰戦争の悲愴感ただよう雰囲気を勝手に想像していたが・・・

 飯盛山は、会津観光に欠かせない場所となっている。飯盛山に行かねば会津に来た意味が無いようなものだ。上野公園の彰義隊士のお墓などと、ほとんど見向きもされないのと好対照だ。年間200万人もの観光客が飯盛山を訪れるという。さて、飯盛山の「現在」の様子とは・・・。
 周囲は住宅やお店、飲食店などが軒を連ねている。きれいに舗装された道路がまっすぐに伸びていて、その道路の終点の交差点が正に飯盛山なのであった。何だか、由緒ある門前町のような雰囲気である。おみやげ屋さんがずらりと並んでいるが、これがまた面白い。白虎隊グッズ、新撰組グッズが所狭しと並んでいるのだ。見てるだけで楽しい訳だが、何だか戊辰戦争の悲愴感がどこかへ行ってしまった感がある。ひなびた草深い山を登って行くという勝手な想像をしていただけに・・・。





↑飯盛山へ続く動く歩道。思わず「そりゃーねーだろ」と思ったが・・・片道250円です。


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