白虎隊士の墓前は香華が絶えないといわれるが、まさにそのとおりだった。ここに十九名の少年達が眠っている。自刃したのは二十名だが、飯沼貞吉という隊士は、喉を刺しても死にきれず呻いているところを近所の住民に救出された。彼の証言によって、隊士自刃までのいきさつが初めて明らかにされたという。
松平容保の歌碑 「幾人の 涙はいしにそそぐとも その名はよよに 朽じとぞ思ふ」 明治の世になってから、飯盛山で行われた慰霊祭で詠んだそうだ。白虎隊の精神は、青い目の騎士の心をも捉えた。ドイツ大使館付フォン・エッツドルフ氏は飯盛山を訪問。感激のあまり、自ら記念碑を建てた。
イタリアの独裁者ムッソリーニは、日本の武士道を高く評価していた。彼は白虎隊のエピソードを知って感動し、ローマ市民の名をもって記念碑を送るよう命じたという。このローマ碑のスケールは破格である。ポンペイの遺跡から発掘された本物の石柱を使うという、粋なはからいであった。船と貨物列車を使って運ぶ手間と費用は相当なものだったろう。序幕式には、高松宮殿下、イタリア大使をはじめ、若松連隊、イタリア海軍将兵の参列のもと、華々しく行われたという。