会津若松のシンボル鶴ヶ城




 太平洋戦争で日本本土の都市は焼け野原になったが、東京も広島も長崎も、二十年かそこらで見事に復興した。会津の武家屋敷跡は・・・明治中ごろも、ほとんど焼け野原のままであったという。会津人にとって、「先の戦争」とは太平洋戦争でなく、戊辰戦争のことを意味するに違いない。会津の人々は「賊軍」などと蔑まれ、苦難の明治を生きねばならなかった。斗南の荒野で流刑同然の生活を強いられた人々、西南戦争で一矢報いようと参戦した人々、いたたまれなくなって外地へ移住した人々・・・彼らの苦労を思うと、立派に復興された現在の会津若松を見て、何とも感慨深い。最後に、天の抜けるような青空の下、美しく輝く鶴ヶ城を眺めてこの場は一旦お開き、としようか。


↑この有名な詩も、鶴ヶ城の影響が反映されたという。

参考文献&おすすめ文献

 早乙女貢:「幕末哀史会津藩」〜これは「歴史の旅、東北」という本の一部にあった早乙女先生の作品。東北地方のガイドブックなのだが、先生のコーナーだけが異様な雰囲気。この落差に「にんまり」すると、幕末がうんと面白くなる。
 早乙女貢:「会津士魂」〜これはもう会津の検定教科書のような存在。「坂本龍馬のおっちょこちょいが」という風に、表現が辛辣なので、反発する人も多い。しかしながら「敗者の立場」を自認し、半ば自嘲的である点は見逃せない。歴史上の偉人に陶酔して自分も偉くなった気になるのとは正反対である。早乙女節に「にんまり」する自分自身が「既に敗者」であり、それを楽しみ、弄ぶという境地に、人間の真実を見い出せると言えよう。

 星亮一:「会津落城」〜会津藩が敗北した原因をなるべく中立的にかつ科学的に検証しようとする。場合によっては会津側にとって不名誉な現実も積極的に提示している。不名誉って・・・敗者なのだから名誉もクソも無いのだが、いわいる「自分達にも非があった」という訳。星先生が若い時に書いた「会津藩燃ゆ」は、世良修蔵の俗悪ぶりが生々しく描かれている、典型的な列藩同盟文学。これに「にんまり」する自分自身の愚かさに溺れる楽しさは格別。

文章を引用される方へお願いです

 最近、このコーナーの文章を引用したり、参考にされる方がいらっしゃいます。それはそれで名誉なことですが、学術的な正確性は一切保障しておりません。特に幕末に関しては、「我が藩主はどう決断したか」「先祖はどう考え、どう行動したか」などで言い分が大きく違ってきます。引用の仕方によっては思わぬトラブルになる可能性がありますので、十分にご注意ください。



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北条四郎のホームページ〜勝手に会津紀行のコーナー 「幕末会津藩の悲劇」


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